⑨ 余滴 『もし・・・』
荒れ野の二番目の誘惑で悪魔は「もし神の子なら、奇跡をおこなうことができるだろう」と、イエスを試みます。洗礼を受けて間もない頃、クラスの友人から「もしクリスチャンなら、聖書の通り『右のほほを打たれても、左のほほを向ける』ことができるか」と迫られました。本当にやりかねない男だったので困っていると、「そんなことできるわけないよなぁ」と言い放って行きました。「あれも誘惑だったのかなぁ」、と時々思い出します★悪魔はいつも悪魔の姿をして現れるとは限りません。時には友人のように、時には正義漢として、時には聖書の言葉を引用しながら来るのです。「もし神の子なら・・・」と。 しかしイエスは答えます「主を試してはならない」★神は力や正義や敬虔さにおいてご自分を示されたのではありません。「わたしたちの命は死の中に。愛は憎しみの中に。栄光は恥の中に。救いは滅びの中に。自由は抑圧の中に。天国は地獄の中に。知恵は愚かさの中に。義は罪の中に。力は弱さの中に」(マルティン・ルター)この逆説こそ悪魔の誘惑に対する答えなのです。この逆説はイエスの十字架において決定的に示されたのでした。
(マタイによる福音書4章5~7)