⑧ 余滴 『試す』
ヨハネから洗礼を受けたイエスは「悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行きます」この霊は洗礼の時にイエスに降った「神の霊」のことです。荒れ野の誘惑は「これは私の愛する子、み心にかなう者」イエスに対する誘惑(試練)なのです★最初の誘惑は「石をパンに変えよ」でした。当時のローマはごく一部の特権階級を除いて多くの人々の生活は困窮の極みにありました。苦しみに耐え切れず頻繁に民衆の反乱がおこりますが、力によって鎮圧され、さらに苦しい生活へと追いやられて行きます。「パンを!」という叫びが巷に満ち溢れていたのです★ローマ皇帝は民衆を慰撫するために「パンとサーカス」を提供し、「神の子」としての権威と権力を維持しようとしました。もしイエスが「石をパンに変える」ことができれば、皇帝と同様に神の子の権威と権力を人々に示すことができるはずなのです。しかしイエスは「人はパンだけで生きるのではない」と答えます★生きるためにはパンは必要です。しかし、パンは「食べること」ではなく、「分かち合うこと」によって人を養うものとなるのです。そうでなければパンは空腹を満たすためだけのものとなり、支配と欲望のための便利な道具となってしまうのです。
(マタイによる福音書3章13~17)