② 余滴 『生じる』
マタイ福音書は「イエス・キリストの系図」から始まっていることは先に述べましたが、ここに書かれている名前の一覧は確かに「系図」です。しかし、聖書で「系図」と訳されている言葉は、もともとは「生じる」とか「生起する」という言葉からきているもので名前とともに「生起した」出来事までを含めていると理解するのがよいかと考えます。
ところで、系図とは一般に男性の家系図が中心ですが、この系図には4名の女性の名前が登場します。タマル、ラハブ、ルツ、ウリアの妻(バト・シェバ)の4名です。この4人の女性ですが、いずれも「由緒正しき系図」にその名前を載せるのにははばかられる女性たちでした。タマルは娼婦ですし、ラハブは遊女でした。しかも彼女は異邦人でした。ルツはアラブ人である上に、夫の死後再婚した女性です。ウリアの妻と言うのは、バト・シェバと言う名前ですが、夫のウリアがダビデの姦計により戦場で戦死させられた後、ダビデに請われた妻となった女性です。
いずれの女性たちも暗く悲しい過去を背負いながら生きている人たちでした。ユダヤ人の側からすれば彼女たちは罪の女として誹謗され、排除されるべき人たちでした。そのような女性たちが系図の中にわざわざ記載されているのは、どうしてなのでしょうか?
その系図は「未婚の母マリア」へとつながって行きます。マリアアを含めてこの女性たちが生きた人生、その暗く悲しい人生と共に神は歩まれたことを系図は示そうとしているのではないでしょうか?
そしてこの女性たちに続くマリアから「生じた」イエスが、インマヌエル(神が私たちと主におられる」との出来事として「生起した」ことを示そうとしているのです。
「系図」はギリシャ語でゲネシスといいます。それは「創世記」と同じ言葉です。神の救いの出来事の「創生記」、それがこの系図に込められた意味といえましょう。
(マタイによる福音書1:1~17)