イースター、イエス様のおよみがえりは、私たちを救う最大の出来事ですが、そのためには罪を認めて、悔い改め、神に立ち帰ることが最大の条件になっています。ギリシア語の「罪」ハマルティアは「的外れ」。神様という的を外し続けている私たちのことを。詩編78篇57節には「欺く矢」と言う言葉があります。口語訳や文語訳の聖書は「狂った矢」、「狂へる矢」と訳されています。私たちはもともと狂った矢なので、なかなか狙った的を射ぬくことができない、的である神様のところへ届くためには、常に礼拝に出席する努力をして、神様に立ち帰ることが必要なのです。この分厚い聖書に書かれていることは、神に立ち帰るための、つまり罪ある身を清めるためのマニュアルであり、それは「悔い改め」という言葉で言われています。日本の教会の言葉で言えば、罪を悔い改める場所がこの礼拝のとき。私たちの罪をすべて贖ってくださった、言い換えると、私たちの罪をすべて背負って十字架にかかられたイェス様が復活されたのが今日この朝の出来事です。本日は福音書ではなく、ローマの信徒への手紙から、主イェスの復活の出来事を読み解きます。
島尾敏夫という作家の小説に「死の棘」という小説があります。夫婦の関係を極限的に追及していく作品ですが、「死の棘」という言葉は、カトリック小説家である島尾敏夫さんの造語ではなく、パウロの言葉と言ってもよいかと思います。(牧師 中井利洋)