「開心、改心、そして回心」
「日々を過ごす 日々を過つ 二つは一つのことか 生きることはそのまま過ちであるかもしれない日々 “いかがお過ごしですか”と、はがきの初めに書いて 落ち着かない気分になる “あなたはどんな過ちをしていますか”と 問い合わせでもするようで・・・」
詩人・吉野弘の「過」と題された詩です。
毎日を生きながら自分の過ちに気づかされ、後悔しない日はありません。「後悔、先に立たず」とはよく言ったものです。その都度反省したり、後悔したり、改心はするのですが、「日々を過ごす」と「日々を過つ」のいずれもに「過」の字が使われているように、「過ちの人生」はもう宿命としか言いようがないほどです。
ところで、悔い改めを「改心」と呼んできた教会はいまは「回心」と呼んでいます。悔い改めるとは単に反省したり後悔したりすることではなく、自分の生き方そのものを変えるという意味に理解するからです。
あのパウロのようにクリスチャンを迫害していたのが、その迫害の相手であるイエスを信じる者になるという180度の転回をしたのです。それが回心です。
とは分かりながら、後悔・反省を繰り返しながら生きている日々、「後悔、先に立たず」どころか、「後悔、後を絶たず」の日々はやはり哀しい。