「注ぐ」
「一人の女性がイエスの頭に高価な香油を注ぎます」 これは旧約聖書では預言者が王の就任にあたって行う行為です。そして、この「香油を注がれた者」とは、メシアという言葉であり、ギリシア語の聖書ではキリストと訳されました。
ペトロは「あなたはキリスト(メシア)、生ける神の子です」、と、かつて告白しました。それが言葉だけのものでしかなく、「サタンよ、引き下がれ」とイエスの厳しい叱責を受けることになります。彼の告白するキリストとは、「栄光に輝く王」としてのメシアだったからです。十字架に向かって進むメシア、それは形容矛盾といえるもので、ありえないことでした。
一方、この女性は「香油を注ぐことによって」イエスを同じように王(メシア)として告白します。しかし、ペトロのような単なる言葉での告白ではなく、油を注ぎ「王たるイエス」を行為において告白したのです。
弟子たちは彼女の行為を理解できず、「無駄なこと」として非難します。しかし、イエスは「この人はわたしの体に香油を注いで、私を葬る準備をしてくれたのだ」と受け入れます。彼女はイエスの頭に香油を注ぎました。しかし、イエスは「わたしの体に香油を注いでくれた」と、言い換えています。王としてイエスに香油を注いだ彼女の行為は、「栄光の王」ではなく、「十字架の上で殺される王、苦難のメシア」への告白であったのです。
イエスはすでに三度もご自分の苦難と死を預言されました。彼女だけが死んで葬られるキリスト、苦難のメシアへの信仰の告白をしたのです。彼女は十字架上のメシアを信じた最初のクリスチャンとなったのです。イエスが十字架にかかられたとき、遠くから見守っていた大勢の婦人たちがいました(マタイ27:55)その中にきっと彼女がいたと、私は思っています。