「ガンバル」

 

「ガンバル」は日本人が好きな言葉の一つです。受験期が近づいていますが、「ガンバレ、ガンバレ」との声援が学校でも、家庭でも飛び交っていることでしょう。漢字では「頑張る」と書きますが、「我張る(がばる)」からきているという説があります。「我」を張る、自分の主張や考えを主張するということでしょう。「眼張る」という説もあります。「眼張る」は目をしっかりと見開いて、事の真偽を見極めるという意味です。そこから「目をさまして物事にしっかりと備える」ということにもなります。

 

ところで、この「備える」は英語ではプロバイド(Provide)といい、もともとの意味は「前の方を見る」で、その名詞形はプロヴィデンス(摂理、経綸)となります。

 

神のなさる業(摂理)は私たち人間の考えや思いの中にあるのではなく、私たちの前の方で、すなわち人間の及ばない出来事として起こるのです。ですから前、すなわち神を見ることがそれに備えることとなるのです。「目をさましていなさい。その日、その時を知らないからである」(2513) 

 

「目をさましている」とは、「睡魔に陥ったり、眠らないでガンバッテ起きている」ということではなく、神のなさる摂理に身をゆだね、その時の車で自分の責任と使命とに励むという日常的な生き方のことなのです。

 

それが目をさましていることなのです。そして、それが安眠の秘訣でもあるのです、

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。