「めとる、とつぐ」
マタイによる福音書22:30
「復活の時には、めとることもなく、とつぐこともなく、天使のようになるのだ」 漢字では「娶る、嫁ぐ」と書きます。いずれの字も「女偏」で、文字通り、「女を取る」、「家の女になる」、という意味の字です。家父長制度、戸籍制度の時代に作られた文字であるにもかかわらず、ほとんどの日本語訳の聖書は、「めとる、とつぐ」と訳しています。しかも、現代ではほとんど使われない言葉なのに少し無神経でしょう。
それはともかく、「復活の時には天使のようになる」とはどういう意味でしょうか。それは「娶る、嫁ぐ」という女性の非人間化(物化)、同時にそれは男性の非人間化(物化)にもつながる「結婚制度」からの解放を告げる言葉です。
7人の男性の「持ち物」とされた女性が、それぞれの男性と家から解放された自由な姿をここでは天使のようにと表現しているのです。
パウロは「あなた方は皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。そこではもはや、男も女もありません。あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)と言っています。
天使のようにとは「キリスト・イエスに結ばれた神の子」のことであり、私たちの世界を支配しているあらゆる束縛、差別、排除から自由にされて、平等、公平、平和を実現するものが「天使のように」と呼ばれるのです。復活の時とは、そのことが実現される日であり、すべてが新しくされる出来事なのです。