「負けても」

 

熱戦が続いた今年の夏の高校野球大会は埼玉の花咲徳栄が決勝戦で広島の広陵を打ち破って初優勝しました。

 

ところで、高校野球というと、試合終了後に勝ったチームがホームベース上に並び、校歌の演奏とともに校旗がセンターポールに掲揚されます。優勝校などは何度もその栄誉を受けるのですが、一方、一回も校歌が歌われず、校旗も掲揚されないまま甲子園を去る学校が半数もあるのです。

 

ある人が新聞にこんな投書をしていました。「試合後は負けたチームがホームベース上に並び、その学校の校歌が歌われ、校旗が掲揚されるのはどうだろうか。まず負けたチームの健闘をたたえるのだ。そのようにすると、すべての出場校が必ず一回ずつ校歌が歌われ、校旗が掲揚されることになる。勝っても負けても平等に扱われる、これが高校野球ではないだろうか」

これを読んだとき大賛成でした。勝ったチームだけが称えられるのではなく、負けたチームの健闘も同じように称えられるべきだと思ったのです。この提案は受け入れられなかったようですが、テレビで負けたチームの選手が泣きじゃくっている姿を見て、甲子園に来るまでには勝ったチームと同じ練習と努力があっただろうに、せめてもそれを称える心があってもよいのではないか、と考えるのですが。

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。