54「逆転する」
小学生の頃、クラスにどうしても勉強のかなわない人がいました。母は「イチバンでなければニバンもサンバンも、ビリも同じことだ」と言い放ちました。「ビリは嫌だ」と、頑張っては見たのですが、やはり一度もイチバンにはなれませんでした。長いこと心に引っかかっていました。数年前、民主党の蓮舫(れんほう)さんが、予算要求の仕分けの折に「ニバンじゃだめなのですか?」と、問いただした時、「そうだ!そうだ!」と、心の中で叫んだものでした。
ゼベダイの子の母は「自分の二人の息子を神の国でイチバンとニバンになるようにしてください」とイエスに頼みます。しかしイエスは「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」と答えました。
「イチバン上になりたいのなら、イチバン下、ビリになりなさい」ということです。当時のイチバン上の人とはローマの皇帝で、イチバン下の人は、奴隷や罪人と呼ばれていた人々のことです。イエスのこの言葉には逆転、いや大逆転の生き方が示されています。
『ローマはなぜ滅んだのか』(講談社現代新書)という本を書いた弓削達さんは、「永遠のローマ」と呼ばれたローマ帝国の滅亡の理由の一つに、ローマ中心主義と逆転の発想を持てなかったことを挙げています。周辺の国々や民族を野蛮人と見下し、奴隷としてこき使うことしかできなかったローマ帝国は、「逆転」を予期できず、結局、野蛮人と見做していた周辺の民族に逆転されて滅びの道を歩まざるをえなかったのです。
イエスの勝利は上に立って支配することではなく、仕えるというあえて逆転に生きることだったのです。