「心をあわせる」
一時期、オーケストラの指揮者になりたいと思ったことがありました。音楽の才能も教養もないのにどうしてそう思ったのかは分かりませんが、指揮棒一つで演奏者を意のままに動かせることに快感を持ったのかもしれません。もちろん、これはいっときの夢・幻で終わりましたが・・・
「心を一つにする」(18:19)は、実は「シンフォニー」という言葉が使われています。文字どおりには「音(声)を合わせる」の意味です。それを「心を一つにする」と訳したのは、名訳といえましょう。
高校時代、週に一度「実技」という授業があり、工作や絵画や習字ではなく、合唱を選択しました。教師は「歌う時は声を合わせるより、まず心を一つにして」が口癖でした。でも、そのクラスのほとんどが女子で、「声を合わせる」ことはともかく、「心を一つにする」など、とても不可能なことでした。
教会はシンフォニーのようなものかもしれません。いろいろな音色(信仰)を持つ人が一つの心になって神を賛美する、と同時に、それぞれの楽器(生活)の特長や個性を大切にする、そうでなければ平板な音(教会)しか生まれません。ペンテコステの日、「一つになっていた弟子たちは、いろいろな国の言葉で話しだした」 このダイナミズムが聖霊の働きなのです。
音楽を聴きながら、いまも時々手を振って指揮者のまねをしている牧師の私がいます。