42.「育てる」
動物でも、草花でも、人間でも、育てることは容易なことではありません。時間と忍耐とが求められます。「育」という漢字は、「赤子の逆さの姿と肉(月)とを組み合わせた」もので、子どもが生まれ出る姿を表しています。生育、発育、養育、育成、そして教育などは、いずれも長い時間と忍耐とが求められるものです。
「ある人がよい種を畑にまいた。眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て実ってみると、毒麦も現れた」 僕が「毒麦を抜きましょうか」と言うと、主人は「刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさい」と答えます。
なんと、これは「天の国」のたとえなのです。天の国は良い麦ばかりが育っている畑ではないのです。毒麦も刈り入れの時まで育つことが許されているのです。それまでは人間がよい麦とか毒麦とかを判断してはならないということです。判断されるのは神様なのです。畑(世界)は刈り入れの時を待ちながら、共に育っていくことを受け入れて行かなければならないのです。
「教育」がよい実りを性急に求めるあまり、競育、強育、そして狂育になりがちです。しかし、「育つ」とは「両方とも育つままにしておきなさい」とあるように、協育であり、共育なのです。天の国は「共に育つ」畑なのですから。