39.「裏切る」
「裏切り」といえば、イスカリオテのユダを思い出します。ユダはなぜイエスを裏切ったのか、これは永遠の謎でしょう。
ヨハネ福音書ではイエスはユダに向かって「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」(13:27)と語っています。ユダの裏切りの行為を許したということなのでしょうか。
遠藤周作の小説『沈黙』は、このイエスの言葉に答えを見出そうとしているようです。“「あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ、お前の足が痛むように、ユダの心も痛んだのだから」”(小説『沈黙』)
「裏切る」という言葉は、もともとは「引き渡す」という意味です。新共同訳聖書では、それまで「裏切る」と訳していたのを、場面によっては「引き渡す」と訳していますが、「裏切る」という言葉の持っている陰惨な意味合いは薄れる感じです。
裏切りを引き渡すと訳せば、ユダはイエスを祭司長や長老に「引き渡し」、祭司長と長老はイエスをピラトに「引き渡し」、ピラトはイエスを十字架へと引き渡します。この「引き渡し」は人々のイエスへの裏切りであると同時に、神のなされようとする救いの業への「引き渡し」なのです。
ユダもまた神の救いの業に用いられた一人なのでしょう。