28. 余滴 「眠る」

 

ひとは眠るとき、最も弱い姿をさらします。乳飲み子の姿のように。でも、実は眠りは強い信頼の姿でもあるのです。信頼のないところで、人は眠りに就けません。

嵐が起こり、沈みそうになった舟の中で「助けてください」と叫び声を上げる弟子たち、恐れと不安に襲われ、眠るどころか平静でもなかったのです。神への信頼を失っていたからです。イエスは言われます。『なぜ怖がるのか、信仰の薄いものたちよ』

そのイエスは舟の中で眠っていたのです。

イエスとは違って私たちは眠れない夜を過ごすことがしばしばあります。痛みや苦しみが眠りを奪うこともありますが、多くの場合、思い煩いや不安が眠りを妨げるのです。思い煩いや不安が原因ではないのです。神への信頼を失っていることが問題なのです。『主は愛する者に眠りを与えてくださる』(詩編1272)のですから。

眠りは神からの恵みの賜物です。眠りの時にこそ私たちは神への信頼と安心を味わうことができるのです。嵐の中でも眠っていたイエスのように。

 「眠る」といえば、『飼い葉おけの中に眠る乳飲み子イエス』(ルカ212)の姿です。神が与えられた恵みと平安に信頼するイエスの姿がここにあります。飼い葉桶と嵐の中の舟、そこに神の平安があるのです。

アドベント(待降節)が始まります。もっとも弱い人の姿となり、最も強い神への信頼に生きたイエスを迎えます。「神には栄光、地には平和」 飼い葉おけの中に眠るイエスが告げる平和のおとずれです。

       マタイによる福音書824

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。