25.  余滴 「見ると、聴くと

 

「みる」という漢字はなぜか多いのです。「見る、視る、覧る、観る、診る、看る、監る、察る」、それにめったに使いませんが「覗る(のぞき見る)、瞰る(見下ろす)、瞰る(仰ぎ見る)、瞥る(ちらりと見る)、睹る(見分ける)」もあります。人間は「みる」ことが好きな動物なのでしょうか。

一方、「きく」は、「聞く、聴く、訊く」ぐらいで、「みる」の漢字ほど多くはありません。「みる」のは好きだが、話を「きく」のは苦手ということかもしれません。

「信仰とは聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」

(ローマ1017

明日、1031日は宗教改革記念日です。15171031日、ドイツのヴィッテンベルグの城教会の扉に一人の修道士が「95カ条からなる「提題」を打ちつけました。その名をマルティン・ルターと言います。その日、プロテスタント教会が生まれたのです。いまから499年前のことです。

ルターが主張したのは「聖書のみ、信仰のみ」という二大原理です。そして、信仰とは「聖書に聴く」ことであると主張しました。それまでの教会の大伽藍や聖人の遺跡、礼拝での儀式、教会の組織を「みる」ことではなく、神の言葉に「きく」ことを重視したのです。

500年の間、プロテスタント教会は聴き続けてきました。信仰の中心である聖書に聴くことをさらに続けていかなければなりません。「宗教改革」はまだ終わってはいないのですから。

 

 

                      (マタイによる福音書728節)

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。