22, 余滴 「求めよ、さらば」
「機械仕掛けの神」という言葉があります。もともとは古代ギリシャの演劇で使われていた用語で、絶体絶命の状況に陥った時に、機械仕掛けの神(全能の神)が登場して、たちまち解決してくれる神のことです。今日風に言いかえると「自動販売機の神」となるでしょうか。コインを入れさえすれば、すぐに求めるものを出してくれるような「便利な神」のことです。
「求めよ、さらば与えられる」 求めれば、すぐに与えてくださる自動販売機のような神を信じようとしてはいないでしょうか。そして、求めるものが与えられれば感謝はしても、求めても与えられない場合は、文句を言ったり、失望したり、神を自分の思い通りになる奴隷のようにしてしまってはいないでしょうか。
「求めよ、されど与えられん」 神はご自分の都合(み旨)に従い、都合のよい時(摂理)に応えられるのです。私たちはこの「されど」に向かいあいつつ、「求め続け、探し続け、たたき続け」るのです。
コインを入れても出てこない時、自動販売機をたたき続けていると、案外ガシャント出てくることもあるのです。「たたけよ、さらば開かれる」ということでしょうか。
しかし信仰とは、「万事を益とされる」神に信頼しつつ、「さらば」と「されど」との間で生きることなのです。
マタイによる福音書7章7