12. 余滴 『捨てる』

 

教会を転任するたびに困るのは書物の移動です。牧師は本がなければ商売(?)になりません。さりとて、必要のない本が増えすぎるのも困りものです。そこで移転のたびに「半分捨てる」ことを心に決めました。

これまで三回転居しましたから、いま本は最初の八分の一に減っているはずです。江古田を去る時はほとんど残っていないでしょう。「本がなくても生きていける」 本を捨てて得たことです。

「断捨離」という言葉が一時流行りました。身の回りの余計な物を少なくすることですが、確かに現代は「モノ」に執着しすぎる傾向があります。思い切って「捨てる」決心をすると、案外「モノ」から解放され、身軽になっていくことを経験するのです。

「わたしに従ってきなさい」とのイエスの呼びかけに、ペトロたちは「すぐに網を捨てて従った」とあります。「すぐに」というのは、時間的な意味の「ただちに」というより、生き方を変えるという転換を示しているのでしょう。

捨てることは失うことです。しかし、何かを得ることでもあります。ペテロたちは網(モノ)は失いますが、人(隣人)を得るものとなったのです。モノからヒトに生きる回心です。

(マタイによる福音書41822)

 

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。