「歌う」

 

聖書のなかで歌を最初に歌った人はモーセとその姉のミリアムです。特にミリアムは小太鼓をたたき、踊りながら歌います(出エジプト記15章)

 

この二人の歌はいずれも神がイスラエルをエジプトから解放してくださったことを感謝する歌ですが、同時にエジプト帝国への抵抗の歌でもあります。ミリアムは「主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた」と、エジプトの権力と栄光の崩壊を歌います。

 

同じ名前を持つマリア(ミリアムのギリシア語名)は歌います。「わたしの魂は主をあがめ、私に霊は救い主である神を喜びます」 マニフィカートと呼ばれる賛歌です。しかし続いてその歌は「主はそのみ腕で力をふるい、思い上がるものを打ち散らし、権力あるものを引き下ろされます」(ルカ151)と、若き女性の口から出る歌にしては過激です。しかし、歌は神の栄光への賛美であるがゆえに、地上の権力や栄誉への批判、抵抗となるのです。

 

モーセは「主はわたしの力、わたしの歌」と歌いました。「主はわたしの歌」とはどういう意味でしょうか?主を賛美する「に歌が最もふさわしいということでしょう。そして歌は賛美であると同時に、わたしの信仰の力となるからです。

 

韓国の教会はかつて独裁政権に対して激しく抵抗しましたが、その時多くの歌が人々を力づけ、最後には独裁政権を倒す力となりました。

 

マリアは歌いつつ、困難な道へ歩み出そうとします。歌が力となることを知っていたからです。

 

「マリアはあゆみぬ、キリエ・エレイソン(主よ、あわれんでください)、茂げる森かげ、いばらのこみちを、キリエ・エレイソン」(讃美歌2124

 

クリスマスの中でも最も美しいキャロルです。

 

 

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。