「つまずく」
「人生につまずくのが18歳、石につまずくのが81歳」、最近話題になっている「18歳と81歳の格差」の中にある言葉。言われてみれば、人生にはつまずき続けてきましたが、最近は石につまづくことも多くなりました。
「ながい間、からだが悪く、うつむいて歩いてきたら、夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた」(八木重吉)
神奈川県内で9人もの若者が殺害されるという事件が起こりました。前代未聞の大量殺人事件ですが、こうした出来事の背後に自らの命を絶ちたいと願う人々が多くいること、そうした人々に言葉巧みに近づくために、スマートフォーンが媒介していることも知りました。
多くの若者が、いや高齢者も体だけでなく、こころも病んでいる時代です。生きる希望、生きている喜び、そして生きる意味や価値を見失って、甘い言葉につい誘われていくのでしょうか。
クリスチャン詩人であった八木重吉は若いころ重い結核を患い、長い間、病との戦いを続けてきます。しかし一向に癒えることもなく、道端に捨てられた石ころのような無価値な自分を呪いつつ歩む日々、しかしある日、道端に転がっている小石に夕暮れの光があたたかく包み込んでいるのを見ます。あの小石でさえ神の恵みの中に置かれている、この詩人はそう感じたのです。
「つまづいたって、いいじゃないか、にんげんだもの」(相田みつを)
居直りの言葉ではなく、つまずきながらも、再び立ち上がることへの応援歌といえるでしょう。信仰も同じです。つまずいたってよいのです。そこもまた、神のあたたかい夕陽に包まれているところですから。