31. 余滴 「たべる」

 

10年ぶりに東京に戻ってきて、減ったのは運動、増えたのは宴会、当然体重も増えました。この時期は最も危険なシーズンなのに「ひさしぶりに、どう?」との誘いが増え、健康への心配も増えました。もっとも、断ればよいだけの話ですが・・・

イエスはどうも宴会が好きだったようです。そのせいかファリサイ派の人たちからは「見ろ、大食漢で大酒飲みだ」(マタイ1119)と悪口を言われるぐらいです。それに神の国を「盛大な宴会」にたとえているぐらいですから、よほど気に入っていたということでしょう。「おもてなし」はオリンピックだけではないのです。

ところで、「たべる」という言葉は「たぶ(賜う)」に由来していると言われています。神様からいただいたものが食べ物なのです。だから、食前には「いただきます」と言うのでしょう。いただいたものは、また「分かち合う」ものでもあります。いまは失われてしまった「おすそわけ」は食べる喜びを共にすることでもあったのです。

罪人の客となって食卓を共にしたイエスが大酒飲みだったかどうかはともかく、禁欲主義者でなかったことは明らかです。「神の国は飲食ではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びです」(ローマ1417)と言い放つパウロより、罪人と好んで飲み食いされたイエスさまが好きです。言い訳みたいですが。

       マタイによる福音書9章9節以下

 

 

大都会の小さな教会

 目白通りを一本入った閑静な住宅地に、芝生の生い茂った暖かい教会があります。

 信仰に導かれて長い間この教会を支えて来られた年配の方々、またその方たちを心のよりどころとする若い仲間たち。ここには明るい笑顔に包まれた「神の家族」があります。

「家庭的なぬくもりを感じますね」と、新しく来られた方々からよく言われます。

 これからもこの地域に根ざした、愛と希望に満ちた教会形成に励んで参ります。

 

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」<マタイ18:20>

 

どうぞどなたでもご自由に教会をお訪ねください。