23. 余滴 「入る」
アンドレ・ジッドの名作『狭き門』は、信仰か恋人かとの愛かの間で悩む女性アリサを主人公にした小説です。「主よ、彼と手を携え、互いに助け合って主のみ許へ進むことができますように。いえ、いえ、主よ、あなたの示したもう道は狭いのです。二人並んで進むことができないほど狭いのです」 悩み続けた彼女は孤独のうちに衰弱死します。信仰とはこうした厳しい「狭き門」を行くことなのでしょうか。
「狭い門」とは聖書では「広き門」と対比されている言葉です。当時、エルサレムには七つの門があり、一番大きな門は「黄金の門」と呼ばれ、交易のための「広い門」であり、また戦争に勝利した軍隊が行進をする凱旋門でもある「広い門」でした。
一方、「糞の門」と呼ばれる門もありました。名前から推測するにエルサレムの町のごみや汚物を運び出す門だったのでしょう。そこは人々がほとんど通ることのない見捨てられた「狭い門」だったのです。
「広い門」とは「経済拡大の門」であり、軍隊が戦場に向かう「戦争拡大の門」でもあります。「狭い門」とは省みら得ることのない、見捨てられた「苦難の門」であり、十字架の道につながる門のことです。しかしこの「広い門」は滅びにつながり、「狭き門」は救いの道に至る門なのです。
いま日本はどちらの門を入ろうとしているのでしょうか。
(マタイによる福音書7章13~14節)