19. 余滴 『祈る、祈られる』
最初の祈りは母教会の中学生会の修養会に参加した時でした。夜、みんなで丸くなって祈ることになりました。初めてのことでなにを、どう祈ってよいかわからないまま、「神さま、はじめまして!」と言ったとたん、まわりでドット笑いが起きました。あとはどう祈ったかは覚えていません。その時から人前で祈ることが苦手になりました。
牧師になり人の前で祈る機会が増えました。「祈ってください」と求められることも多くなりました。しかし、どこか祈る言葉の空疎さを感じてきました。
「あなたが祈る時は、奥まったあなたの部屋に入って戸を閉め、隠れたところを見ておられるあなたの父に祈りなさい」
祈りは「隠れたところ」から始まることに気づかされました。気が楽になりました。隠れたところを見ておられる神に対して、口に出しても、口に出さなくても、祈りができることを知りました。
「祈ること」より、「祈られることの大切さ」を実感してきました。どれだけ人のために祈っているかより、どれだけ多くの人々から祈られているか、「牧師名利」を味わってきました。
最期の祈りは、どのような祈りになるのか・・・楽しみでもあり、不安でもあります。
「神様、あとはヨロシク!」かも。
(マタイによる福音書6章9~13節)