⑦ 余滴 『沈める』
バプテスマのヨハネは罪の悔い改めの洗礼を授けていました。その洗礼をイエスがお受けになったのです。イエスもまた罪人のひとりで、悔い改めが必要だったということでしょうか?★洗礼(バプテスマ)という言葉は、もともとは沈めるという意味で、水中に全身を沈めることによって罪人として死に、水の中から起き上がることによって新しい人間に生まれ変わることです。では、イエスはなぜこの「罪の悔い改めの洗礼」を受けられたのでしょうか。それは彼が悔い改めを必要とする私たち罪人と同じ所に立ち、罪人のひとりとなられたことなのです。イザヤ書の「彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられた」との預言がここで成就したということです★イエスはヨハネの洗礼を受けることによって罪人のひとりとなり、十字架の上で罪人の仲間としてとして死なれました。最初の洗礼の時から最後の十字架までご自身も「罪人」として生きられたのです。洗礼直後の「あなたは私の愛する子、私の心にかなうものである」との天からの声は、ヨハネの洗礼において罪人のひとりとなったイエスこそ「神にかなうもの~メシア」であることを示しているのです。
(マタイによる福音書3章13~17)